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自己実現とは?桃太郎の心理学的解釈②

見られる自分(マザ・コンと自立の臨床発達心理学)鈴木研二著作を参考に現代的な解釈を試みたものです。

目次

心の内面への旅

昔話の桃太郎を心理学的に解釈すると、自己実現の方法が見えてきます。
桃太郎はどのように自己実現をしたのでしょうか。
現代に生きる私たちが学ぶところはあるのでしょうか。

①では、桃太郎の誕生と育ちについて書きました。
②では、桃太郎が動物たちを家来にすることの心理学的意味について書いてみます。

鬼ヶ島は海の向こうにありますが、桃太郎は海に出る前に山に行っています。
そして、犬と雉と猿を家来にしています。

桃太郎の旅は、心の内面への旅です。
心理学的にはどのように解釈できるのでしょう。

桃太郎が出会う存在とは

村 → 村はずれ → 山 → 山奥  → 鬼ヶ島
爺婆   犬     雉 猿 鬼

お爺さんとお婆さんと村で暮らしていた桃太郎は村から旅立ちます。
村はずれで犬と出会い、山で雉と出会い、山奥で猿と出会い、鬼ヶ島で鬼と出会っています。

これらの存在は、桃太郎の一部だと考えることができます。

お婆さんが川で桃を拾うときにこのように言っていました。
「うめえ桃コぁ こっちゃぁ来い」
「にがい桃コぁ あっちゃぁ行げ」

そして、大きくて美味しそうな桃に桃太郎は入っていました。
ということは、お婆さんは桃を選んでいます。
選ばれず拾われなかった桃はどうなったでしょう。
その中に入っていたものは?

桃太郎の旅とは、拾われなかった桃を回収し、統合していく旅です。
その桃も自分の一部です。
桃太郎家では受け入れられなかった自分です。
それらを自覚して、受け入れ、表現できるようになるのが旅の目的であり、自己実現です。

犬が象徴するもの

「村はずれで、わんわんと吠えながら犬が来ました」
犬とはなんでしょう?

桃太郎はお爺さんとお婆さんと住んでいるときは優等生でした。

優等生は親や先生からは好かれます。つまり、親や教師向けの姿です。
内心は、犬のようになりたいと思っています。

自分もみんなと同じように怒りたい。嫌な時は我慢せずに言い返したい。
ときには友達から叩かれたら叩き返したい。バカって言いたい。蹴っ飛ばしたい。

怒りや攻撃性を出したいと思っています。

友だちと犬のように戯れあって遊びたい。服や手足が汚れるのを気にせず一緒に遊びたい。

もっと近づいてバカをやりたいと思っています。

犬はこのような心理を表しています。

雉が象徴するもの

「山できじがけーん、けーんと鳴きながら来ました」
雉とはなんでしょう?

上記に書いたように桃太郎は優等生です。
怒りだけでなく、悲しい気持ち、悔しい気持ち、弱気だったり、怖いと思う気持ちを出すことはできません。
喜怒哀楽を自由に表現したら、親や教師からは「あなたらしくないよ」と言われてしまいます。
「いつもの元気で明るいあなたに戻って」とも言われます。

桃太郎は、感情を内に秘めがちです。
雉とは、内に秘めた感情です。

猿が象徴するもの

「山奥で猿がきゃっ、きゃっと叫びながら来ました」
猿とはなんでしょう?

猿は私たち人間に近い存在です。
頭が良くて、賢いです。また、ずる賢いとも言え、欲望に忠実です。

優等生の桃太郎は、猿のようにずる賢くはなれません。
親や教師には模範となるように正々堂々と振る舞うことを期待されています。

誰かの悪口を言ったり、騙したりすることはできません。
ということは、うまくやるために策略を練ったり、根回しをしたりすることもできません。

しかし、このような欲望は頭の中にはあります。
頭の中にあるだけで行動しない欲望は頭の中でぐるぐる回ってしまいます。
恨みつらみ、嫉妬、嫌悪、後悔、自己否定などが生まれては消えます。
このような思考を自動思考と言います。

猿は桃太郎の頭の中で浮かんでは消える思考を意味します。

自己受容

「私も鬼ヶ島へお供しますから、日本一の黍団子を一つください」
「なら、家来になれ。これを食べれば十人力になるからな」
「家来になります」
 
桃太郎は、犬、雉、猿に黍団子をあげて家来にしています。
どのような意味があるのでしょう。

黍団子は食べ物です。食べ物は心理学的に見ると母性的愛情を意味しています。
桃太郎は、お爺さんとお婆さんに食べ物をたくさん与えられて育ちました。
母性的愛情をたくさんもらえています。

母性的愛情がたくさんある人は、それを他の人に分け与えることができます。
母性的愛情とは、受け入れるということです。受容するということです。

つまり、黍団子をあげることは、動物たちが象徴する心理を受容することを意味します。
犬、雉、猿が象徴する心理を受け入れようとします。
お爺さんとお婆さんと暮らしている時は認めなかったけれど「これも自分だよな。」と受け入れます。

受け入れることができると、それらの心理をコントロールしながら表現することができます。

犬のように怒ったり、攻撃性を出したり、戯れあったりできるようになります。
雉のように喜怒哀楽を見せることができるようになります。
猿のように計算高くなり、作戦を立てることができるようになります。

いざ鬼ヶ島へ

桃太郎は、犬と雉と猿を家来にしてから鬼ヶ島へと向かいます。

鬼とは何でしょう?

第3部へと続きます。

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